大人の階段上る

●今日は学校に先日の授業の成績をつける手ほどき、助言を頂いた後、今回の仲介をしてくださった先生2人と夕食。慰労と歓送の意味を含めて軽く一席も受けてくださった(もちろんこの前の料亭ではない)。
最近大人の人と食事する機会が多くて、奢りであることはもちろんのこと、なんというか「社交」という感じがして何だか変な気もする。学部や学校のシステムについての愚痴や処世の話といった「大人の会話」をして、いい話が聞けるし、素直に面白くて、為になるのだが、素直に「大人しく」している自分にちょっと待てよ、とメタ的に観る自分の存在も必要というか、大事にせねば、あれよあれよと流されていってしまう危険が「大人」にはあるのだな、と感じた。
1週間か2週間に一度は落ちついた雰囲気のカフェで一杯千円位する珈琲をゆっくりと、半日くらいゆくっりと、自分の今の位置、これからしようとしていることの意味、あるいは何をしなければならないか、を見詰めなおす余裕を持たなければならないよ。との言葉。なるほどそうかもしれない。普段仕事の休憩中にいっているような喫茶店で小一時間、というのは確かに相応しくない。
●風邪はとっくによくなっているはずなのだが、咳だけが治まらない、困ったものだ。