サム・ダン/スコット・マクフェイデン/ジェシカ・ジェイ・ワイズ『メタル ヘッドバンカーズ・ジャーニー』カナダ、2005年 @渋谷シネアミューズ

どうも最近酒の抜けが悪くて(ほぼ毎日飲んでいる)、今朝もだるかったので書けなかった…
というのはおいといて本題。
まぁ、観る前から予想はついていたのだけど、メタル好きのためのメタルドキュメンタリーといって差し支えなかろう。映画、映像、あるいはドキュメンタリーと言う手法を用いて、それでしか出来ないようなやり方で、メタルに、人間に、肉薄していく、あるいはそういう自分自身へ肉薄していく、と言うような映画ではない。つまりこの映画はメタル好きのためのポルノ映画である。
このポルノを楽しむ資質がある者は多いに楽しめるし、そうでない者はそうでないまま…と言うのが実情ではないだろうか。
この映画の内容について本格的に語ろうとすると、映画論ではなく、メタル論、音楽論になるであろう。私は少々怠惰なメタルヘッズであるので、ここに浪々とメタル論を開陳するのも吝かではないが止めておこう。
が、やはり北欧メタルへの言及のあたりは特筆すべきだったなと思う。ちゃんと放火された教会の神父にも取材しているし(何故メタルは嫌われるのか?と銘打っておきながらメタルが嫌いな人々への取材はほとんどなされていない!)、エンペラーやメイヘムのメンバーにも半ば懐疑的に取材している。このあたりの監督と対象との意識のズレをもっと自覚して膨らませていけばドキュメンタリーとして面白いものになったのかもしれない。かなりマニアックにはなるだろうが。結局北欧の純粋なサタニスト達は思考停止状態に陥り、メタルとは関係のないものとしてナレーションのみで結論づけてしまった。残念。それと同時に「ホワイト・メタル」なるジャンルが町山智浩氏のブログなどを見るとあるようだが、それについては一切言及されていなかったなぁ。
あとスレイヤーやカンニバル・コープスがやはり「受け狙い」の部分があり、本人たちも半ばアイロニックに認めているくだりはやはり残念というかショックというか。やっぱりというか高校生ぐらいだと、本気で軽蔑していたかもしれない(死体や畸形に傾倒していたとき、藤原新也がそうと知ったときの失望感と似ているかもしれない。知り合いはショックで泣いていた)。かといって、「本気」の北欧ブラックメタルを完全に支持するかと言うとやはりそれでもないが、やはり彼らは「本物」であると言う点においてのみリスペクトできる。やはり私には原理主義者の傾向がある。
スレイヤーやカンニバル・コープスのくだりをそのまま受けとめて、無邪気にメロイックサインをする監督や、被写体たちや、そして私たちがこの映画をやはりポルノにしているのだろう。
しかし、この映画を観てテンションが凄くあがった、音響のボリュームも高めだし(爆音?!)、ご機嫌なメタルナンバーのオンパレードだし…