いまおかしんじ『おじさん天国』(併映 いまおかしんじ『南の島にダイオウイカを釣りにいく』)日本、2006年 @ポレポレ東中野

なんだろう。はじめていまおかしんじ監督の映画を観たのだが、はっきりいって面白かったのだが、その面白さがまだ掴めていない、(つまり「自分のものに出来ていない」ということだろう)。まるでデイビッド・リンチのような荒唐無稽でともすれば精神分析的に解釈できそうなフィルムなのだが(おそらくこれはピンク映画、性描写のある映画であるからと言うところが大きいのであろう。性的な要素を入れるといかなる想像も説得力が出る)、単純なギャグなのか、その深淵に何かが隠されているのか不明である(おそらく何本か観ると何かしらかの批評的な解釈は可能であるが)。
その理由は(併映された非常にくだらなくて最高に面白い)『南の島にダイオウイカを釣りにいく』でより強く感じたのだが、にもかかわらず、これがくだらない素人のビデオやAVやテレビドラマではなく、正真証明の映画であると感じさせる画を当然のように提出しているからである。実は当然のことなのだが、それすらできていないと感じるものが巷には溢れかえっているようなので言うと、本気で撮っていることが分かる。本気さとは、予算や豪華さや文面に表せるものではなくて、フィルムをワンカットでも(スティールでは決して伝わらない。雑誌やネットの写真はやはり当てにはならない)観ればそこに生まれる何か(抽象的な表現で申し分けないがそうとしか言いようが無い「映画的なもの」というのが流通している言語では一番相応しいのだろうか)が確かにスクリーンと我々との間の空間に生まれているのが分かる。つまり意外といったら可笑しいのだが、すべてのカットが、スタンダードというか王道というか、まじめにしっかりと撮っている。最低限の儀礼かもしれないが、やはり当たり前のことを当たり前にすることの尊さを感じる。
それにしても主演の「おじさん」、下元史朗の目が素晴らしい。あの目だけで既にすべての説得力を得ている。あの目をしているおじさんなら、いかなる荒唐無稽なフィルムが廻りつづけても納得させる何かがある。すべての物事を映画的に、即物的にさせる目である。