安部公房『人間そっくり』1967年

基本的に私は本を読むのが凄く遅くって、一冊読むのに1ヶ月位かかることもあるんですが、そういう読むペースが停滞したときには、安部公房のまだ読んでない文庫を漁りに行くことにしています。なんというか安部公房の文章とは波長がぴったり合うのでしょうね、いつも一気に一日や二日で、読んでしまいます。面白いですからね。もうこれで10冊目くらいです。
初期の安部公房って、明らかに「SF」というジャンルに属すると思うんですが、かといって、あからさまなSFの記号ってあまり出てこないですよね、日常の中に非日常が屁理屈を振りかざし闖入してくるといった感じ、しかしこの理屈というのが厄介なのだ。
論理的ににみ考えると、私を火星人とすることが十分可能で、「そっくり」という概念が、読者に眩暈を引き起こす。この作品は端的に言って、論理は実存的問題を解決するのに何の役にも立たない。ということを示している。これは他の安部作品にも共通して流れているテーマのように感じる。
いやしかし、安部公房の文学って罠に満ち溢れていますよね。下手なミステリー小説よりもサスペンスに満ちているし。単純に面白いということも魅力の一つでよね。
そしてなによりも構造の面白さ。『箱男』はまさにその集大成なのだと思うが、書き言葉(エクリチュール)における一人称と二人称はいったい誰を指すのかといった問題や、著者と読者読者を重層的な「入れ子」とはまた違う迷路の仲に迷い込ませる。(ほとんどの作品は「主人公」などが残したノートや手紙、メモという体裁を取っている)私はこの辺にゴダールとの共通点を見ます。