煙草についてあれこれ…

早く戻ってきてくれ!

雑誌『ユリイカ』の今月号が煙草異論と題して煙草に関して(主に喫煙者からの視点で)様々なエッセーが寄せられていた。その中で「喫煙者アンケート 煙草とエクリチュール」と銘打ってアンケートを実施していたので、試しに僭越ながら私も回答してみようと思う。


質問

  1. 現在お吸いの銘柄は何ですか。一日何本くらい吸いますか。
  2. 執筆活動と喫煙行為は関係ありますか。
  3. 煙草について、現在気になること、心がけていらっしゃることはありますか。

ユリイカ』編集部

  1. CAMELのMILDを吸っていたが、半年ほど前にリニューアルされた。あきらかに不味くなっているのだが、ラッキーストライク、ラーク、セブンスターなどいろいろ試してみたもののしっくりとこないので、偽物だと分かりつつ、今もCAMEL MILDを吸っている。少なくとも今のパッケージに書かれている"since 1913"と言う文字は直ちに取り払うべきである。だいたい一日一箱、20本強。真キャメルが吸えなくなってから少し呼吸器系の体調が悪くなったような気がする。
  2. レポート、論文など半ば義務で書く場合と、脚本、小説などを書く場合では少し違うように思うが、執筆中は普段にもまして本数が増えることは確か。だが、煙草のおかげでなにかひらめいたと言うような体験は無い。執筆作業を終えた後の山盛りになった灰皿を見るのは好きだ。あと、図書館の自習室が前面禁煙なのはかえって不健康な気がするが、いちいち外に出て吸わなければならないので。休憩しているという意識が非常に強くなって、良いのかもしれない。
  3. 吸い始めたときから携帯灰皿と言うものを持ってはいるのだが、ほとんど携帯すらしていないし使った試しが無い。吸殻についているフィルターは喫煙者に後ろめたさを覚えさせる装置だろう。大学という場所は少し特殊で、一般社会に比べると喫煙は容認されている方だと思う。と思っていたら、先日構内の煙草自販機が全て撤廃されていた。私が利用している阪急電鉄のホームには一応喫煙コーナーがあるのだが、最近そのスペースに禁煙の時間帯が設けられた。どう言うことだ。あと、禁煙の喫茶店というのはもはや喫茶店ではなく、コーヒーのファーストフード店だと思う。

まぁ、年々喫煙者の肩身は狭くなる一方なのだが、嫌煙運動とは一体何なのだろうか?タバコは健康に悪い。副流煙が悪い。その通りだろう。嫌煙権にたいして喫煙権を主張するようなバカなことはしないが、大人になってもこそこそ隠れて煙草を吸うのだろうか。かえってうまくなるような気もするが。嫌煙権を主張するのは正しい。健康を希求するのは正しい。だが、その「正しさ」が妙に気持ち悪い。「絶対的」な正しさに酔っているというか自家中毒を起こしているというか。そう言えば一昨年だったか、我が部の侵入部員勧誘のビラにキチガイという言葉を使ってあったが("映画キチガイ"みたいな文句だったと思う。)、それに対して素早く、間髪入れず、「部落開放研究会」みたいなところからクレームがあった。これは単純にいって、言葉狩りに違いなく、問題なのは言葉そのものではなく、ウィトゲンシュタイン的に言うところの用法、語用の問題であるのだが、それを元から絶ってしまうというファシズムである。
しかし、こういうことを喫煙者が言ってもほとんど意味がない。喫煙者は非喫煙者の気持ちはわからぬだろうし、その逆もまた真である。
健康増進法といって、国が国民の健康を定義し、管理するということに、能天気に良いことだといっている人間は、恐怖心が欠落しているのではないだろうか。
「俺は健康のためになら死ねる」というジョークがジョークとしての機能を失う日が来るのも近い気がする。