『キング・オブ・フィルム/巨匠達の60秒』1995年/フランス

最初に流れることになった、パトリス・ルコントのフィルムはシオタ駅のホームから撮影。リュミエールの有名なフィルムの一つの再現を試みている。「差異を示す」とルコント自身がいっていたように、もはやそこに映し出されているのは蒸気機関車ではなく、最新式の電気機関車。ホームには「演出された」人々の姿は無く、紙屑が舞っている。しかも電車は通過し、乗客の乗り降りも無い。ゴダールの『右側に気をつけろ』や『決別』にみられるような目配せは認められないものの、なかなかのものであるとは思った。ただ、フィルムの質感(おそらく当時と同じようなフィルムを使っていると思われる。)に感動と同時に失望。昔のフィルムが私を感動させる一つの要素であった、質感の「それっぽさ」というのは古くて痛みかけているという以前に技術的な問題で現在ほどの鮮明さを得られていないだけという事実を再確認した。やはり100年前のフィルムが私を感動させるのは記録性(メリエスの作品にも私は記録性を認める)によっている部分が大きいのだろうか。リュミエールの魅力については別の機会に(誕生日あたりに)。
ほとんどのフィルムは取るに足らないものであったと断言しても良いと思うが、吉田喜重のフィルムは本当に素晴らしいと思った。映像は(鏡を置いたとユリイカのインタビューで言っていた)キャメラを文字通り手で廻しているキャメラマン吉田喜重がが写され、やがて、鏡が動き実際にその鏡の向こうにある原爆ドームが映され、爆撃の音が重なる、やがて鏡が戻ってきて最初の2人とキャメラが映される。というもの。同時に収められているインタビューで吉田は「映画は思い上がってはいけない。映画にも表現できないことがある、撮影できないことがあるということをこのプロジェクトで示したかった」と言っている。このビデオが製作された(日本では劇場公開されていない)のは1995年。当然映画生誕100周年を記念したプロジェクトであろうが、同時に戦後50年目という節目でもある。吉田はそちらの記念を十分に考慮している数少ないというか、唯一の監督であった。この考えはその後の『鏡の女たち』にはっきりと示されている。映画には表象不可能なものがある。その一つがこの「原爆」であって、それとの格闘はこのときすでに吉田は決意していたのだと言うことをはっきりと感じた。
他のフィルムもそこそこに楽しめる、まさに博覧回的なものではあったが、深く心を打つかというとそうでもない。
しかし全部を通して気になったことは、そのフィルム自身にキャメラが映されていることが極めて多かったということである。この企画の時点からして注目は役者でも風景でもなくそれを捉えているキャメラであるという不可思議な企画ではあるのだが、それが100年の歴史をも含み、撮影そのものがテーマになる。照明を主役にしたフィルムもあった。
ただ、52秒ワンカットでは物語は語れないのだろうか、ほとんどの作品はそれ以外のドキュメンタリー部分。インタビューなどによって補完されなければならない事態になっていた。たんにこの全体としての作品の作り方が甘かっただけなのか、総監督の甘さに帰するのであろうか、こうせざる得なかったのもわかるがもう少し構成の仕方があったのではないだろうか。
もう一回観直して他の作品についても。