田壮壮(ティエン・チュアンチュアン)『春の惑い』2002年/中国 @西灘劇場

雄大な、弧付きのような中国の風景をよそに、戦後間も無い焼け野原を経て、その屋敷は完全に世間と隔絶されている。街と屋敷との往復に観られる風景がどれも同じなのは、誰一人としてそれを見ていないからで、ここでの廃墟もやはり括弧付きの「廃墟」でしかない。彼らにとって外は糞尿を捨てるための場所でしかない。よってこの映画にはワンシーンをのぞいて屋敷の中の人々しか姿を現さないだろう。だから、外へ行くときでも彼ら以外には決して人間のいない場所へと行くのである。
なにも起こらない、起こってはならない生活に突如として闖入してきたチーチェンはやはり、最初招かざる客として登場し、結果「子供の頃のように」、糞尿を捨てる裏口から屋敷に入る。旧友として当然のごとくもてなされる彼だが、与えられた書斎には以前として美しくもはっきりとガラスだ主張するように、飾られた枠のある窓によって隔絶される。これは夫リーイェンの悲しい最後の防御線である。だから、妻ユイウェンが彼に会うには毎回、密かに、儀式のようにその扉を決意を持って開けねばならない。
やがて、とうとう耐えられなくなったユイウェンがその防御線を、しかも内側に閉じ込められるという皮肉な状況から打ち破るとき、彼女の手はやはり傷付く。そしてその傷を癒してくれるのは初恋の人ではなく、夫なのである。
それに対して、夫が自身に張った防御線のなんとも弱々しいことか。自殺を決意し、その天蓋から降ろされ、彼の四方を守るカーテンはいとも簡単に剥がされ、自殺は失敗する。
そして、今だ強固な外界と屋敷とを隔絶する廃墟もやがて復興とともに消えてしまうだろう。
妻の夫へ対する思いはどこまで行っても愛ではなく、情であろう。