アキ・カウリスマキ『罪と罰』1983年/フィンランド

この作品の冒頭をみて思い出すのは、もちろん『マッチ工場の少女』(1990年)である。工場で主人公が働く様子がつぶさに捉えられているのだが、どちらの場合もキャメラの関心はそこで働いている人間よりもむしろ労働の内容そのものへと向かっているように思われる。この描写で思い出すのはロベルト・ロッセリーニの『白い船』という1941年、戦時中に撮られたプロパガンダドキュメンタリー映画である。ここでのロッセリーニの戦争のための映画を撮るという状況から逃避するかのように、ほとんどフェティシズムのように機械、モノとしての兵器、システムを捉えていくのを思い出す。オートメーション化された工場でまさに歯車の一部として働く人間が人格を捻じ曲げられている、ということよりも、ドキュメンタリーとして、工場の様子、こういってよければ様式美を感じ、私には非常に面白くみえてしまうのである。
そして、それに対比するようにラストでの刑務所の生活を描写し、「結局シャバもムショも一緒だ」みたいな形式にもっていくのかと思いきや、刑務所での生活の描写はほとんど描かれず、面会のシーンのみである。
これが劇場デビュー作ということもあって、後にカウリスマキの特徴といわれるような作風は予感させつつも、そうでない部分が面白い。近作の『過去のない男』で少しその片鱗を(少しわかりやすいかたちで)みせはじめた、カウリスマキの「怒り」の部分がこの『罪と罰』ではより荒削りなかたちで現れている。それは例えば、とうとう自首した主人公を警部補が殴りつける場面だったり、ヒロインに上司がホテルで迫る場面であったり、無論最初の殺人の場面などで、要するに割りと感情をあらわに表現しているのと、暴力を描いているということである。『マッチ工場の少女』でも殺しの方法は毒殺である点を考えれば分りやすい。
この後カウリスマキの演出は抑制の方に向かい、それになによりもユーモアが加わっていく。この作品にはユーモアは皆無であるといって良い。
このデビュー作を見るとなおさら、『過去のない男』(『テン・ミニッツ・オールダー』の一編は除いておこう)以降のアキ・カウリスマキはどうのような作品を撮るのだろうかと楽しみになる。