細田守『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』2000年、日本 をビデオで

前作からから、リニアな接続をしていることを示すかのように、冒頭突如またしてもボレロが響き、上空に巨大なディジタルの卵が覆い被さる。だが、それは一瞬で破られ、またしても細田守はタイトルクレジットで日常の描写とそれらの楽しい暴走を嬉々として描き出す。こうした日常の細部にわたる描写が彼の作品の肝であることはもはやいうまでもなかろう。きめ細やかな、輝きを持った細部の描写の積み重ねと、詩情を持ったずらし、ワンショットワンショットの強度が素晴らしい。
本作での描写は前作の一個の街の描写から抜けだし、島根の田舎の描写までに進んでいる。さらに、この物語の大事なアイテムであるパソコンの描写がきちんとしているのが、素晴らしい。徹底してこのファンタジーにリアリティを持たせるための最大限の偏執狂生での努力を惜しんでいない。エンドクレジットの右側に出てくる画像に"ENDING"というファイル名がいちいちついているのが素晴らしい。
前作と共通して見られる切り返し、パソコンのモニターからの視点の導入。この切り返しは、例えば小津安二郎について指摘されている、「人間(社会・関係)を見返す物体」として一種超越したものの視点ではなく、本作のクライマックスで主人公がモニターをとおしてネットの中に没入してしまうのを見れば解るように、序盤の「客観的」な人間のドタバタを俯瞰する魚眼気味の視点から、パソコンモニターからの視点が意思を持った人称として現れ出すのがわかる。だから前作にましてパソコンに関する描写が緻密になっているのだ。
災害伝言ダイヤル117を扱っているのが興味深かった、私は神戸人だが1回も使ったことがない。この扱いを見て、前作のラストで感じた震災後の風景との一致環、一種のフラッシュバックを受けたことが私の中で腑に落ちた。