フリッツ・ラング『スピオーネ』ドイツ、1927年/1928年 @有楽町朝日ホール

冒頭の数カットが凄まじい。簡潔にして鋭く、畳み掛けるようにフィルムが始動する。ある情報が盗まれそれが明るみになるまでの数カット。特にバイクで逃げるスパイのしたから捉えたショットが凄い。構図の奇抜さもあるが、バイクと共に下から人物の表情を捉えるにはこれしかないなと思えるものである。アニメーションをかぶせて電波となって知れ渡る描写なども面白い。
しかし、この嵐のような冒頭はすぐに息を整え、じっくりとことは進行しはじめる。すべてのことを丁寧に1つずつ示しながら、それでも怪人ハギの執務室がどこにあるかは分からない。この執務室の風景の浮遊感、具体的には壁があるのかないのかわからないような色合いと空間の広さがハギとこの部屋がなにかとてつもないものであると感じさせる。
冒頭の見事なシンプルさで作品世界を示すやり方、スパイものとラブロマンスを見事に絡めたストーリーなどヒッチコックをまさに先取りという感じである(パンフレットで蓮實重彦も指摘していた)。ヒッチコックは間違いなく影響を受けているのだろう。「33133」という数字がクライマックスでいわば「マクガフィン」として機能しているあたりもそうかも。
映像とその動きのダイナミイックさはサイレントにあってもっと注視するものである。というか、それしか見るものはないだろう。ボクシング会場が試合が終わるや一転ダンスフロアになってしまう。まずはボクシングの試合風景と用意をしている楽団員がクロスカッティングされる。これだけで「おや?」と思わせる見事なカッティングだが、さらに次にショットは真上から見下ろす。全てがフラットに見える位置である。そして試合が終わるや否や輪舞する人々が周りからぞろぞろと出てくる。なんとダイナミックなカットであろうか。そして次にダンスする2人が画面の中央に捉えられ、キャメラも共に滑らかに踊る。キューブリックの『アイズ・ワイド・シャット』のあの冒頭のダンスシーンを思い出す。
さて、プログラムやら何やらでさかんに触れられている「ハラキリ」であるが、決してただの異国情緒に堕することなく、しっかりと決意したマツモト博士の表情を捉えている。所作も堂に入ったもである。そして、このハラキリは幕が降りるときハギのピストル自殺によって対照がなされる。このハラキリとの対比があってこそ、ハギの怪人性はより際立つ。
ハギは様々な演技によって目眩ましをやっているが、何一つ嘘をついていない。車椅子を使用しているが立てないとは一言もいってないし(こういう怪人が「立てる」ことは時系列は当然逆だが、相米慎二の『セーラー服と機関銃』によって私は既に知っている)、ネモが自分ではないとも一言もいっていない。ネモとして自決するが決してハギとしての自分を隠さない。そして何よりも怪人的なのはこの俳優ではないのか。他の出演作も観たい。