押井守『立喰師列伝』日本、2006年 @吉祥寺バウスシアター

立喰師の映画、食についての映画と聞くと押井守の作品を観つづけているものにとっては、とうとう来たか!という感じなのだが、そういうテーマを期待してみると、例によって肩透かしを食うだろう。何しろここでテーマになっているのは「食べる」という極めて生物学的なモチーフではなくオルタナティヴで虚構の食文化とそれを背景とする昭和日本史であるからだ。
ミニパト』で見せた手法を踏襲、進化、深化させたのをはじめ、あらゆる技術を駆使して、このフィルムを異化させていく(「異化」という言葉を使うのもどうかと思うが押井守については「異化」という言葉を堂々と使える気がする)。饒舌な講談調の語り、様々な架空の資料、ドキュメンタリのパスティーシュ。ともするとこれは押井守の余技の塊、押井の萌え要素の集積物の様にも見えるし、実際そういう部分もあろう。
押井の文体で語られる山寺宏一による語りが端的に示すように、これは一種の押井の「芸」の集大成であろう。様々な作品にスパイスの様にしてちりばめられていたもの。そのスパイスだけで勝負した作品。そのスパイスによる異化作用によって戦後日本の姿が立ち現れる。吉本隆明の引用には正直涙が出そうになったし、「フランクフルトの辰」のフィリップ・K・ディックの作品のようなくだりには正直身につまされたし、この饒舌なフィクションにスクリーニングされている最中は酔いしれた。
しかし上映が終了するや否やそれは跡形もなく消え去ってしまった。まるで一杯の月見蕎麦のように。
大阪万博のちょうど10年後に生を受けた私にとっては昭和日本史すらフィクションに見えてくる。この作品は歴史すら異化させて、字義通り物語として立ち現させる。