物語という癌細胞

先日ジャームッシュの映画について考えているとき、物語を「癌細胞」であると比喩したが、この比喩はうまく使えそうだ。一度発生してしまったからには容易には消し去ることは出来ない。二つのショットを繋げるだけでそこにはもう物語は生まれてしまう。巧みな手術によって取り除いたつもりになってももはやその転移はフィルム全体にわたっておりもはや手遅れの様相を呈すだろう。おそらくそういった努力もまたひとつの物語に回収されるだろう。物語は強力である。かといって物語に依存すれば確実に死は訪れるだろう。『風の谷のナウシカ』における人類と腐海との関係のようにもはやそれ無しではいきられないのだから、それとうまく付き合うのがやはり良いのだろう。フィルムのもつ豊かさを物語から守りつつ、それでも物語を完全に消し去ることなどということは不可能なのだから、せめて物語には上品に大人しくしていてもらおう。