溝口健二『噂の女』日本、1954年 をビデオで

この傑作に相応しい言葉を今、私は連ねることが出来るだろうか。ふと、今そう考え込んでしまった。すべてのショットが素晴らしい。一部の隙もない。ビデオなのでカウンターで後どれくらいでこのフィルム(ビデオテープ)が終わってしまうのか分かってしまい、まだ終わらないでくれと思いながらも、最初のショットと同じ構図の店の表の風景が示されると、ああ、これがラストショットだな、とその終りが妙に腑に落ち、この一巻の終りをすっと受け入れてしまい、ああ、いい映画をみたなという残余のみが胸に去来する。
序盤の方で、太夫たちの部屋のシーンで誰かが煙草を吸う仕草でカットが割られるのをみて、ああ、アクション繋ぎをするのだな、と少々以外だったが、その繋がれたアングルが絶妙で、高枕に寝そべる太夫の横顔と、胸を大胆にはだけながら化粧をしている太夫の姿が見事に捉えられている。むかし溝口の映画を観てあさはかながらにもパッと浮かんだ印象、大勢の人間を一度に示すのが非常にうまいという印象が甦ってきた。
田中絹代が医者と開業について最初に話す場面、ここではカットは割られずに人間を追う。田中絹代は医者を囲み、まわりこむように話しかける。キャメラはそれらに対して田中絹代それと同様に追いかける。アングルは襖の奥の部屋のそのまた奥の部屋までもを、必ずその視野にいれる。最初のポジションではフレームには入っていないのだが、一度キャメラ不穏に揺れながら動き出すと、必ず「外」がフレームの中に入りつづける。その最初に「外」が入り込んだ瞬間、そこを女が通りすぎる、絶妙過ぎて演出というよりも奇跡にしか見えない。
このフィルムで印象に残るこのような「まわりこみ」は全部で3回あった。病に臥す太夫を娘が気遣うシーン。この孤を描くような久我美子の運動とキャメラの運動がこの場の太夫たちとの絆を表象しているようでいて、それでも半円でしかないことの哀しさも感じる素晴らしいシーン。
それでも、カットを割っている場面でも息を呑むものがあって、田中絹代と医者が物件を見に行った帰りのシーン。2人が歩いていると田中絹代がベンチに腰掛けるとカットが変る。医者は立ったまま。田中が結婚したいなどと云う感動的な場面だ。この位置関係が振りかえってみると、この2人の物語を端的に示していることが分かる。

噂の女 [VHS]

噂の女 [VHS]