黒沢清『LOFT ロフト』日本、2005年 @テアトル新宿

冒頭、だまし画のように光りに煌く湖畔のショットが示され、タイトルが出た後、鏡に向かう中谷美紀のショット、これが凄まじい。この顔を捉えたショットそれが鏡越しであるとかいう、賢しらな考えを吹き飛ばすくらい素晴らしいショットである。もはやこのショットによって、私はこのフィルムの間中ずっと、誰よりも中谷美紀から目をそらすことなど出来なくなるだろう(それにしても本当に中谷美紀が良くて、いくつかのショットはまるで近年のゴダールの映画に出ている女優の様だった、これは黒沢清が凄いのか中谷美紀が凄いのか、撮影の芦澤明子が凄いのか照明の長田達也が凄いのか…、判然としないというか全部が凄くて、奇跡的な化学反応を起こしてこの脅威的なショットが生まれるのは当然なのだが、ゴダールが撮るショットはいささかも奇跡的な様相は呈さずに当たり前の様に目の前に鎮座しているのが、やはり凄いし不思議だ)。
そしてそのとおり、前半は中谷美紀を映像的にも主軸にしてフィルムは展開していく。ヒッチコックを思わせるような序盤の展開から、「そんなわけないだろう!」と、怒涛の展開になだれ込む(青山真治の『レイクサイドマーダーケース』もそうだったが、ロバート・ゼメキスの『ホワット・ライズ・ビニース』を思い起こさせる。ヒッチコックへのオマージュとそこからの展開。もっとも私は『ホワット〜』は面白いもののそこまで凄い作品だとは思わないが)。しかしそのミイラは決してヒッチコックマクガフィンの域にとどまろうとはしないだろう(「動けるんなら、最初からそうしろ!」)。ゼメキスの小細工とは違う、真の古典の乗り越えがここにはある。
だがその転調は唐突にそのクライマックスにやってくる。2人が嵐の中、空っぽの穴の前で抱き合い、接吻をかわすシーン!そこで突如、このフィルムは堰を切ったように唄い出す。ここで流れるゲイリー芦屋による甘美で人を食ったような劇伴。二人は実際には唄を唄ってはいないが完全にこれは唄っている。ミュージカルである。ここからは黒沢清は自ら仕組んだしかけと、古典への言及を悉く破壊していくだろう。そこに笑いがあるのは当然で、私は(も)何度も爆笑した。『回路』では良く分からない外国へまんまと逃げおおせた主人公は、今回遠いところへ2人で行こうと決意するや否や、『ドッペルゲンガー』でユースケ・サンタマリアが一度落ちたような奈落へあっけなく落ちてしまう。
他の役者(西島秀俊加藤晴彦)の素晴らしさ、編集(これももっとつっこんで考えなくては行けない)と、他にも言及すべきことは沢山あるが、興奮さめやらぬうちに、このあたりでひとまず措いておこう。
大傑作である。