サミュエル・フラー『ストリート・オブ・ノー・リターン』フランス/ポルトガル、1989年 をビデオで

フラーの映画において、そのフィルムの冒頭とはどのような意味を持つのか。
遺作であるこのフィルムも「衝撃」を以ってその幕を開ける。プロダクションやらのクレジットも一切出ぬまま、いきなり顔面に鉄槌が炸裂する黒人の顔のクロースアップ。その後に続く暴動のシークェンスも圧巻で、「人がごみのようだ」とまではいわないまでも、俯瞰で街を捉えたショットを見ると、そのもぞもぞど暴力を繰り広げる人々の姿が即物的に迫ってきて、ある種のスペクタクルを産んでいる。これはアンゲロプロスに感じるそれに近いものである。
その後の回想、過去のシークェンスに連なる展開からみても、やはり冒頭にこの暴動を持ってくるのは演出的ないとであることは確かだろう。
バーでのシーンを軽く吹っ飛ばし、さっさとベットシーンになだれ込む編集も、これは「省略」したいうよりブレッソン的な「倹約」と言ったほうが相応しいのかもしれない。なにしろフラーのフィルムは登場人物の情感たっぷりに描いているように一見見えながら、決して無駄な、説明的な、カット、シーンが無い。ようでいて、そのベットシーンに連なるショットではかなり広角度でのパンをして撮影され鏡なども使ってかなり挑発的な撮り方をしているし、病院から抜け出して着替えるシーンなども、ジャンプカットを用いているものの、すべての挙動を丁寧に取り上げている。最終電車に女がこなかった後、船上で酔いつぶれるシーンもジャンプカットが用いられている。これは非常にフィルムとして面白く出来あがっているのだが、それと同時に尺を90にするために無理矢理切ったのではないかという、ゴダールの『勝手にしやがれ』と同じ事情を勘ぐってみたくなってしまう。
出鱈目さと厳格さが同居する奇妙な作家である。

ストリート・オブ・ノー・リターン [DVD]

ストリート・オブ・ノー・リターン [DVD]