神代辰巳『鍵』日本、1974年 をビデオで

原作が原作だし、何度も映画化されているので、それ(神代×谷崎)を無視して観ることはどうしても出来ないが、
そういった意味での解釈としての映画と、フィルムそのものとの間で何度も往復しながら観ることも出来るわけで、やはり原作は原作であって、これは谷崎潤一郎のフィルムではなく、紛れもない神代辰巳のフィルムであることが端々から感じ取れる。
「解釈」という意味では原作では夫と妻のみであった日記による独白は、モノローグという形式を得て娘も木村もその心情を吐露している。谷崎が文学で成し得た形式をそのまま映画にすることは無謀なので、映画独自の形式を与えるしかない。映画において一人称で語るのは原理的に不可能であるのだから、たとえ眩暈による効果のショットであれ具体的に見せるほか無い。だから極度の高血圧で視界がぼやけてるのはこの夫自身であるのにもかかわらず、主観映像ですらない(夫自身も映し出されている)フィルム自体が、歪み、ぼやける。
もうひとつ「解釈」。正月の秘め始めを第二の結婚と規定したイメージがフィルム全篇にわたって挿入される。秘め始めへの言及がなされる前からライトモチーフのように結婚をテーマにした音楽が流れる。新たに挙式する夫婦のイメージも何度も挿入される。この結婚をこのフィルムのイメージの主軸として90分にまとめるという宣言である。
かといって決してフィルムの持つ豊かを押し殺そうとはしない。例えば喫茶店へと階段を上って行くショットだとかはやはり素晴らしいし。背後で網を投げる漁師、その網を何度かカットバックさせたりする一種の遊び、映像との戯れも忘れない。

鍵 [DVD]

鍵 [DVD]