M・ナイト・シャマラン『レディ・イン・ザ・ウォーター』アメリカ、2006年 @吉祥寺バウスシアター

やはりシャマランはかなり凄い作家であると確信した。
実際、シャマランの映画に決定的に素晴らしいショットを見出すのは難しいかもしれない。例えば『サイン』で宇宙人がその全身を現したショットや、『ヴィレッジ』で怪物がその姿をぬっと現したショット。そして本作で獣が姿を現したショット。シャマランのフィルムにおいては、普通周到に見せないことによって効果を狙うであろう、陳腐さを避けるための演出をしない。たとえ陳腐で間抜けであろうとも、堂々と見せてしまう。これはこの前の『グエムル』や黒沢清のフィルムなどにも見られる一種の「傾向」なのかもしれない。
ヒッチコック的」な主題も堂に入ったもので、誰にも気付かれることなく事態が進行するモブシーンはなかなか素晴らしかった。
物語を語るということ。シャマランの作品は現代においてどのような物語が可能かと問うこと自体がみえる。今回はアメコミを見事に再解釈、再構築してみせた『アンブレイカブル』の系譜に属する作品と言ってよいだろう。ファンタジーは現代においていかに可能か。
役割を演じる役者とその役割との関係の恣意性が怒涛の様に畳み掛けてくる中盤は圧巻で、このあたりの際どさはシャマラン自身どこまで自覚的、批評的なのかがよく分からないのだが、そのあたりをいつも突いてくる嗅覚というかセンスがあるのは、もはやこれだけ作品を重ねてくると間違いないのではないか。
未だ満足がいくようなシャマランへの骨のあるインタビューが読めないのが残念である。私が知らないだけか?