冨永昌敬『パビリオン山椒魚』日本、2006年 @シネセゾン渋谷

抜き去るでもなく、煽るでもなく、ドアミラー越しに映し出される黒塗りの自動車。
バスかと思っていたその追われる箱は、オープニングクレジットが終わり、カットが変るとレントゲン車であることが分かる。
このような調子でこのフィルムはのらりくらりと観る者をかわしつつ進行してゆく。それでも決してムチャクチャで全く出鱈目なフィルムという訳でもない。要所要所で示されるオダギリジョーのモノローグの様に誠実なフィルムである。(しかしこのオダギリのモノローグよりも冒頭のラジオの声が面白かった、オダギリ以外の声も含めてモノローグを構成したほうが面白かったのではないだろうか。それこそ谷崎的な構成で。そのラジオの声と冒頭の映像のような重層性が、人を食ったようなシュルレアリスティックな物語よりも、このフィルムの面白いところだと思ったのだが。)
その証拠に何箇所か素晴らしい切り返しがあった。
「お姉ちゃん」(母)の死後、喪服姿の2人の姉が会話しているところに携帯電話の留守録を手に襖を開き妹が現れる個所の切り返しが素晴らしかった。襖を開けるのとカットが切り返されるのがほぼ同時の何の事はないアクション繋ぎなのだが、そのタイミングというか、ダイナミックさが素晴らしかった。
それはオダギリジョーの「ドーン!」という掛け声の様に、半ば暴力的にこの映画の形式を決定付けている様にも思える。
あと、あのシャボン玉は照れ隠しなのだろうか、ちょっといただけないような…