小栗康平『死の棘』日本、1990年 をビデオで

映画は何を「説明」、「表現」出来るのか、するべきなのか…
人間の心理という、一種の「フィクション」を「映画化」することを拒み、というかそのようなことは不可能であると悟っているこのフィルムはそれでも雄弁に何事かを語っている。この演出の行き届いた端正なフィルムは、この夫婦の関係を、台詞や言葉では表現しきれない関係を捉える。
原作の島尾敏雄による小説を読んでいることを前提にするべきか否か、これは小説なり、漫画なり、なにものかの「映画化」の際には必ずついてまわってしまう。小説では直接登場しなかった奄美大島の風景や、特攻兵時代のイメージショットなど、知っていない者が観たら「意味」は完全には汲み取れないショットが多々ある。これもやはり原作を「解釈」する映画であろう。が、もちろんそれだけではない。小説『死の棘』が表象していたものを映画において表象しなおす(批評する)。「映画化」というのはそういうものだと思うのだが、となると、まるで小説なり、映画なり、藝術というものはなにかイデア的な存在が前提としてあって、それをある形を借りて表象されている、という考え方に陥ってしまいそうになるが、それこそが、「映画化」というものに付きまとう罠である。

死の棘 [VHS]

死の棘 [VHS]