大和屋竺『愛欲の罠』日本、1973年 @一角座

素晴らしい。素晴らしいというか面白い、楽しい。
荒唐無稽というか、実はそう極端に荒唐無稽と言うわけでもないのが、夢に喩えられるようなイメージの連鎖なのだが、それでいてリアリティが欠落していないのが凄い。それは冒頭の新宿三丁目らしき場面(伊勢丹の看板が見えたのでそうだと思う)、ビルの屋上にたゆたうクレーンからの狙撃シーンが、「あ、これは私のいる現実と地続きだな」と速攻で思わせた印象が後々まで残っていたからなのだろうか(上京してからというものの、ある種の日本映画に感じるリアリティがグッと上がった気がする、単純な話だが、ああ、これらの映画私のいる場所と地続きのどこかで作られているのだな、という感覚、知っている場所、いったことがある場所が映されているという単純な理由である、だからテレビでもそうだ。関西にいて関西の番組を観ていてもそれはほとんど当たり前の風景だったのだが、よそに来てみて、それを認識させられたのだろう)。
例えば、「海外から来た大物」を狙撃する場面の編集のリズム。らせん状のスロープを上って行くトラックと、大物が乗った車内のギャグシーンのクロスカッティング、それがまさしく一発の弾丸によって、即座に有機的に結びつく、無論このトラックから狙撃することはヒッチコックてきなその手さばきから容易に想像つくのだが、それでも、最期の一発によって、ある種のリアリティを得ることが出きるのだ。おそらくそのカッティングが生み出すリアリティが、遠く冒頭のシーンの新宿まで、そして、撮られてから30年以上経つ今の私の現実へと、繋がっているのだろう。
その余韻か否かリアリティが私に侵食してくる。その証拠に上映後一角座から、上野公園を横切って帰るとき、車椅子と犬を連れて散歩するふたりを見て、殺し屋か、と一瞬本気で思ってしまったのだ。