アニメと映画(実写)を語ること。

負けたら疲れも倍ですよ。

下の文章を書いて、今添削のために読みなおしているとやはり、私の今後の課題でもあるアニメと映画(cinema)をどのように語るかということをふと考えました。
アニメも今はすでに子供向けの見世物の域は脱したと思うのですが、そうすると「アニメ批評」みたいなのが確立すると思うんですね。初期のアニメならともかく今は「手で書いたcinema」というかそう言う映画の下位に属するような概念では無くなっているのではないかと思います。
で、そうしたとき、例えば下で『∀ガンダム』を語る際に『ギャング・オブ・ニューヨーク』を引き合いに出すというのは私にとっては結構自然なことなんですが、「アニオタ」の文脈からするとどうなんでしょう?逆に実写作品を語る際にアニメを出すことも特殊効果の発展も伴って、不自然では無くなっているのではないでしょうか。
アニメも実写も(というかこの言葉遣いが難しいですね。「映画」と言うとき、その中には「アニメ」の映画作品も含まれるわけですよね。多分「実写」という言葉はアニメがある程度市民権を得てから出来た言葉なんじゃないでしょうか。でなければわざわざ実写って言う必要無いんですからね。)おっと、括弧内が長くなった。
で、アニメも実写も好きというか同時に語りたいという要請って少ないんですかね。わりと「アニオタ」も「シネフィル」も閉鎖的なイメージがありますが。映画について多少は語る「アニオタ」はいるような気がしますが、アニメについて語る「シネフィル」って少ないような。というか少なくとも一線の批評家などはほとんど語っていないのではないでしょうか。で、語るとしても、映画に「上がってきた」宮崎だとか大友だとか押井だとかに限られているのが現状だと思います。(この辺憶測です。)
そもそも、アニメも映画も包括的に語る文脈ってあるんでしょうか。そうなると写真映像と絵画も包括的に語らなくてはならないということですよね。
従来の芸術観だと、アニメの方がそれに近いような気もするのですが…
まぁ、今はもうつかれたのでこの辺で…