考察

物語という癌細胞

先日ジャームッシュの映画について考えているとき、物語を「癌細胞」であると比喩したが、この比喩はうまく使えそうだ。一度発生してしまったからには容易には消し去ることは出来ない。二つのショットを繋げるだけでそこにはもう物語は生まれてしまう。巧み…

宇野邦一講演

話の中で、ドゥルーズの『シネマ』の2のほうが来春いよいよ出版されるとの情報。高いんだろうな。

(されど高貴な、否「だからこそ」高貴な)戯言

最近いつになく(浪人時代の頃以来位の)速いペースで、本を読んでいる。というか、早く読めるような「小説」であったり、「新書」であるからなのであもあるが。休憩中に残り時間と格闘しながらページを繰り、「寝る前にちょっと」と思いつつ数時間読んでし…

誰も知らない、諏訪敦彦、そのほか

先日から、「ものもうす」さんがいろいろ意見を述べてくださり、いつに無く盛況になってきてきて、嬉しい限りなのですが、本名を晒せなんて暴力的なことはHNでずっとやってきている私に言えた義理ではないですが、議論の内容も鑑みて、もう少し人となりを教…

(久しぶりの) 今日の発表について

記号学的アプローチを通して、映画、映像に肉薄していく試みは、テーマが大きすぎた故に、守備範囲を広くしすぎたが故に、昨年度あえなく挫折したのだが、それ(映像を記号論的に読み解いていく)を踏まえた上で、今年度は、より私が現在の問題として注目し…

映像の

今まで敢えて触れてきていなかったが、昨今のイラク情勢に関する情報というのは極めて興味深くて一度きちんと考察する必要があると思ってはいた。それは専ら映像によるもので、今朝も人質に取られていたアメリカ人が斬首されるという衝撃的な映像が配信され…

動き

メモ。 全然まとまっていないのにもかかわらず、無理矢理単位を取るための義務で発表したので、つまり付け焼刃だったので、4人の教授陣からツッコミされまくり。 映画を従来の言語学、記号論、写真論から分析してみるものの、一番肝心の映像が「動く」ことが…

スポーツのテレビ中継に関する覚書 その2

友人―サイト「蹴球歳時記」(http://plaza.rakuten.co.jp/saijiki31/)とちょっとしたやり取りをしていながら、そのままほったらかしにしていた。 この前(10月20日)「テレビ野球」だとか「テレビサッカー」だとかいう言い回しをしたが、これは決してネガテ…

スポーツのテレビ中継に関する覚書

まず最初に、例えばプロ野球の場合セ・リーグ、特に巨人や阪神といった人気球団の試合中継が多いこと。例えばプロ野球や大相撲などのメジャースポーツに比べてバレーボールのVリーグなどの放送機会に雲泥の差があることや、民放の放送にはスポンサーがついて…

「映画は芸術か?」という問い

これを記し始めた日に「映画は芸術か?」という文章を書いたが、ここ最近googleなどの検索で「映画は芸術か」と検索してここを訪れる人が毎日コンスタントに3〜4人いるようだ。 やはり、皆気になる問題のようだが、最初に書いた文章の通り、芸術か否か?とい…

昨日の「アニメとか映画とか」の補足。

えっと、チェコのアニメに限定して言うと、その起源はパラパラ漫画だけではありません。 むしろこっちの方が重要なのですが、この国は伝統的にマリオネットをつかった人形劇が盛んだった。それは日本の文楽にも相当するほどのものである。 さらに政治的な理…

アニメとか映画とか

映画史とかアニメ史を一応分かっている人にしか分かりづらいかも。 映画史的に考えてみると、アニメの方が歴史が古い。いいかたをかえると、写真技術を映画の父親だとするとアニメーションは母親である。 アニメーションは所謂「パラパラ漫画」のような、錯…

え〜っと、改めて書き直すほどのものではないのですが、シャア専用ポータルの中の人から要請もありましたので、少し。 『∀ガンダム』と『ギャング・オブ・ニューヨーク』の共通点といいますか、後者をなぜ引き合いに出したかと。 一つは『∀ガンダム』の「名…

アニメと映画(実写)を語ること。

下の文章を書いて、今添削のために読みなおしているとやはり、私の今後の課題でもあるアニメと映画(cinema)をどのように語るかということをふと考えました。 アニメも今はすでに子供向けの見世物の域は脱したと思うのですが、そうすると「アニメ批評」みた…

新たな課題。

で、発表した結果出てきた課題を… アニメーションやCGといった、「写真映像ではない動く映像」をどう扱うのか?(実写の動く映像と同じ視点で語れるか?それとも異なったシステムとして捉えるか?) ソシュールの言語学を動く映像の視点から読みなおす。 従…

「映画における意味作用は「記号を欠いた意味作用」(significations sans signes)である。」(ミトリ)

●用語の規定 映画は 独特な論弁のための道具(instrument d'une diakectique particuliere) この道具を使用する技法(l'art d'utilser) かつその結果を伝播するための手段(le moyen de diffuser) という、三つの性格を同時に持つ。 ↓ にもかかわらず、こ…

「映画は言語体系を持たない言語活動である」(クリスチャン・メッツ)

メルロ=ポンティ『意味と無意味』より 知覚→ 「さまざまな形態の体系」 →「知覚において第一のものは、並列された諸要素ではなく全体なのだ」 クリスチャン・メッツ『映画――言語体系か?言語活動か?』より 「映画とはなににもまして”現象学的”な芸術であり…

メモその2

「映画は言語活動である」という考え方と「映画は言葉を使った(ヴァーヴァルな)言語活動とはあくまでも異なるものである」という考え方が、言語学的な角度から映画にアプローチするものを二分している。以前Dravidian Drugstoreというサイトで 「映画は言…

のための考察、つまりメモ。

問い―<「映画」は「言語」と同じ機能か?> 映画、つまり「活動」写真 写真の独自性 【objectif】=客観的なもの。レンズ。 外部世界の像(イマージュ)が人間の想像的干渉なしに自動的に形成される アンドレ・バザン『映画とは何か Ⅱ』より 「写真の映像は…

4/25の追記

つまり「芸術」という言葉の使い方を覚えるということです。 「芸術」という言葉がなかったらそもそも「芸術」などは存在しないのではないだろうか?

短文を幾つか

映画は言語である。フランス語・日本語や数学とは異種の音楽や絵画とは親類の言語である。 話を「きく」と音楽を「きく」とが違う行為ならば、景色を「みる」と映画を「みる」はどうか。 「映画」と「映像」と言う語の明確な意味を規定する。 「映画は動く映…

映画は芸術か?

と見出しをつけたものの、実は今の私にとってそんなことはどうでもよい。 というのも「芸術」というのはカテゴリーを表した言葉ではないのではない。というのが私の考えであるからである。 つまり、<表現様式A>は芸術であり(芸術の定義に見合う)、<表現…