スポーツのテレビ中継に関する覚書

虚しき美

まず最初に、例えばプロ野球の場合セ・リーグ、特に巨人や阪神といった人気球団の試合中継が多いこと。例えばプロ野球や大相撲などのメジャースポーツに比べてバレーボールのVリーグなどの放送機会に雲泥の差があることや、民放の放送にはスポンサーがついている問題や、世界的に人気のあるサッカーリーグなどの放映権の問題とそれに伴う番組の偏りといった、社会現象的な問題はひとまずおいていて、画面構成とそれに伴う見える部分と見えない部分について考えてみたい、ということを断っておく。
特に球技について。
尚、手元に歴史的な資料があるわけではないので、記憶によっている場合が多いので、そのあたりどなたでも指摘いただけるとありがたい。
とりあえず、プロ野球の中継について。プロ野球中継の画面構成は現在ほとんどどの局も同様であるといって良い。野球というゲームの性質上一番多い局面はピッチャーが投球をし、それをバッターが打つ、もしくはキャッチャが取る。という運動である。その際の基本的な画面構成は、ほぼセンタースタンドの位置からピッチャーとバッター(キャッチャー)とが綺麗に収まるサイズで捉えられる。単純に考えて、野村前阪神監督の言うように野球がキャッチャーで決まるという、最近の野球の見方と無関係ではあるまい。この画面が一番キャッチャーの動き(構えや顔の動きサインの出し方など)が見えるからだ。この画面はバッター対バッテリーという構図を強調する。これは攻撃側、守備側、どちらのファンにとっても関心のあることであるだろう。というよりも、画面によって注意を向けさせらている。私が物心ついたときからこの画面構成だったと記憶しているが、良く野球の歴史的映像などで、かなり昔の映像(「展覧試合」や王のホームラン記録など)では異なるその多くは一塁側の上方から俯瞰で捕らえた映像である。この場合、キャッチャーの動きは先ほどの場合よりは分からない。ここで示されるのはピッチャーとバッターの位置関係、そして三塁側の内野手、サードやショートのピッチャー投球時の動きである。この画面のばあい先の場合ほどは対決は強調されない。バッテリーとバッターが駆け引きを行っている際、実は内野手もいろいろと駆け引きをしていることが充分ではないにしろまだ分かる。さらに現在の放送でも注意していると、異なる画面構成が採用されている場合があることに気付く。例えば阪神の赤星が出塁した場合、三塁側からの低いアングルの画面が採用され、この場合バッターボックス側はフレームに入っていない場合が多い。このときは、当然ピッチャーと一塁ランナー(さらには一塁守)との駆け引きが強調される(この際アルプススタンドが後方にみえることも面白い。)。赤星など足の速い、盗塁数の多い選手の場合この画面構成になることが多いが、他の選手がランナーに出たときは駆け引きをしていないかというと、そのようなことは決して無い。野球中継の場合、チームスポーツでありながら、その多くはバッテリーとバッターとの対決に帰し、その心理的駆け引きや配球など動き出す一瞬に向けての、ドラマ性が強調されている。これが野球(中継)に人気のある一つの要因であると思う。しかし、けっして野手はなにもしていないわけではない。これは野球をやったことのあるものにしてみれば当然のことであるが、テレビ中継だけを見ていると忘れがちである。そのようなことはイチローが大リーグに行った際、日本人のファンの要望上、イチローを捉えた画面が多いことからもわかる。(それでも、その際の画面はイチロー一人が映っており、フィー流布土の中での位置関係や、投球の際の動き出しなどは相変わらず分かりづらい。)、また選手達は常に激しく動き回っているわけではないので、表情のアップを捉えやすい。スポーツを動きの華麗さではなく、勝敗や各選手のそれまでの出来事を踏まえた上での「物語」として見るときこれは劇的効果を高める。これらのものは実際に球場で観戦しているとあまりわからない。テレビでしかわからない、テレビ放送が作った独特の語り方であって、野球そのものを写しているわけでは決して無い。
サッカーやラグビーのようなボールが常にダイナミックに動くようなスポーツの場合、野球に比べて、画面はロングショットが多い、これは純粋にトップレベルの人間が絶妙なポジショニングや動きををしていることが捉えやすいし、全体として直接ボールにかかわっていない選手の動きもある程度見ることが出来る。が、逆に野球のように選手の表情は捕らえづらい。これは、その競技を「物語」よりも動きの華麗さを見るのには適している。「物語」はあくまでも結果とフィールドの外で補完され、そのつどの選手の心理状態は分かりにくいので、劇的効果は薄い。劇的なシーンは得てして選手が激しく動いているときに生まれるからである。例外としてセットプレーのときがあるだろうが、流れの中でのプレーに比べるとやはり見劣りする。これは実際に観戦している場合に近い。が、それでも常に全体を捕らえた映像を示すことは「映像的に」退屈なので、細かいスキルが分かるミドルショットになる。それでも、ボールが激しく動いている際には選手の表情にクロースアップすることは無いし、ほぼ不可能であろう。表情がはっきり画面内に写されるのは監督などベンチの人間が多い。さらにロングショットの場合でもエンドラインからエンドラインまでを写すことはまず無い。例えばサッカーの場合攻撃側のキーパーがフレームに入ることは無いし、オーバーラップしてきた選手は「突然」画面内に入ってくることになる。しかし、実際には「突然」何処からとも無く表れたのではなく、画面外で状況を観察しながら機を見て上がってきているのである。ラグビーの場合でも、ほぼ一緒のことがいえる、ブラインドサイドのウイングなどがサインプレーで突然画面内に現れるが、これも同様である。これらのことは、無論ボールを中心に捉えているからである。
これらの事を見ると、競技の違いだけでなく、それに伴うテレビ中継の形式、内容の違いが、そのスポーツそのもののイメージに与える影響は大きいのは確かであろう。
すくなとも、テレビの中継がスポーツそのものを捉えているのではないことには注意しなくてはならない。ノンフィクションだからといって、全てがそこに映っているわけではないのだ。そこに写されていないものは多い。そして、それを補完する実況アナウンサーの声はあくまでも一人の人間の視点でしかない。テレビで見ているのは、テレビ野球であり、テレビサッカーであり、テレビラグビーである。