「小津安二郎静かな反戦」を見た。

吉田喜重吉増剛造が決して戦争を描かなかった小津から静かなる反戦の意思を読むという内容。冒頭WTCを訪れる吉田。もう言わずもがなで、吉田が繰り返しいってきた、戦争、空襲、原爆という圧倒的な暴力の現象とその残骸である原爆ドーム、それとグラウンドゼロを重ね合わせる。
「小津さんは戦争を描かなかった、描けなかった。」これもまさに吉田的に言うところの表象不能な自称の一つであり、小津安二郎は未来どころか現在を描く(話す)ことすら人間には不可能なことなのであって、過ぎ去ってしまったことのみ無責任に話すことが出きると考えていたのではないか。
どうも吉田監督のことになると、表象不能なことについての話題になってしまうのだが、もう一つ面白いと思った話は、『お茶漬けの味』、『秋刀魚の味』と2作品に「味」という言葉が使われいるが、嗅覚、そしてこの「味」であるところの味覚は聴覚と視覚のイマージュを扱う映画というメディアには決して表象できない対象であるということ。それを2作品のタイトル、後者は奇しくも遺作になってしまったタイトルに使っているのは小津安二郎自身そのことについて自覚的だったのであろう。
ほかにも、松竹の監督たちの集う宴会ではじめて吉田監督が小津監督と話したときのエピソードや、例の病床での一言。さらに吉田、吉増両氏の対談が行われた旅館が、小津、野田の2人が脚本を書いた部屋であったりと資料的に面白いものもあった。
さらには戦時中のニュース映画に出る小津安二郎の映像もあった。
吉田の『長屋紳士録』評。戦後1本目の映画であるこの作品は戦前の『生まれてはみたけれど』の時代に戻りましょう、戦争の十数年はなかったことにしましょうという、小津らしい提案であり反語であるとの評。私はもちろんリアルタイムで見ていないし、時代背景で映画を読むという作業を怠っている部類の者なので、はっとした。とりわけ小津映画は「時代にかかわらない普遍的なテーマ」を扱っているとされているが、当然封切当初は新作として上映されたのだし、小津監督自身従軍経験(戦地から帰ってきた途端に戦争について観念化し描けなくなる)もある。少なからずそのときにその作品を世に出さなければならないモティベーションがあるはずで、戦中に企画し「一時保留」となった『お茶漬けの味』などその最たる例である。そうした作品群を2003年という「現在」に観るということは、観方が変わるのもある種の必然性もあろう。「現在」の読み方。
私自身の小津の観方はどうだろうか。私は小津の映画をはじめてみたときからそのユーモアの中に潜んでいるとんでもなく残酷な視線に魅力を感じた。とても残酷な映画だと思う。それをすました顔で演じさせ、演出している。という印象。年明けに卒論が終わってから録り貯めたビデオを観て、小津映画に就いて一度まとめてみよう。
今日は「吉田喜重が語る小津さんの映画」を借りてきたので後で観よう。芸術学のレポートの論題は、こうなったら吉田喜重しかあるまい。
それにしても今日の番組で最初に思ったこと。吉田喜重監督は心配なくらい痩せている。首の細さにびっくりした。