相米慎二『あ、春』日本、1998年 をビデオで

このフィルムは「動物映画」である。『我輩は猫である』のような意味で。映画的に言うと小津的なパースペクティブとでも言おうか。ジャンルとしての「コメディ」映画をはっきりとやっていて、しかも相米作品なのに尺も100分と言う短さである。にもかかわらず、どこか空恐ろしいものをこのフィルムから感じるとすれば、それは動物の存在である。動物からの視点、動物越しの視点がこのフィルムにはへばりついている。
この映画で動物というと、勿論鶏、チャボであり、ラストでは父親(?)の死よりも新しき雛の誕生によって、再生以上の生命感があるのであるが、もっと重要なのはあの黒い猫である。このフィルムの一番最初は、読経する笑福亭鶴瓶ではなくて、庭をうろうろする黒猫を執拗に追いまわす映像である。そして猫の前には小屋の中の鶏がいる。この鶏達は常にこの猫の餌食にされる可能性があることが、どれだけフィルムが進んでも忘れることが出来ない。この黒猫が父親の闖入というより山崎努の闖入を暗示しているというのが自然だろうが、それでもラストの孵った雛でさえ猫にとっては例外ではないというのがこのフィルムの空恐ろしいところではないだろうか。