小津安二郎『小早川家の秋』日本、1956年 をビデオで

確かに異色作というか、奇妙な作品である。松竹ではなく、東宝に招かれて撮った作品だからとか言う単純な理由では括れないのではないだろうか。
突然無性に小津のカラー作品が観たくなって、デッキにカセットを突っ込んだのだが、やはり小津のカラー作品は生理的に好きだ。エイゼンシュテインの『イワン雷帝』の一部がカラーだったがそういう感覚で好きだ。
何とも殺伐とした映画で、俳優の語りのトーンも違えば(関西弁でぶっきらぼうに喋っている)、画面作りもやや違う屋外、ロケのシーンがやや多いように思う。ラストの橋を渡る葬送の列には戦慄を覚えた。アンゲロプロスとはまた違った凄みがある。また、最初に中村鴈治郎が倒れた後一族が一同に会するシーン。これほどひとつのフレームに沢山の人間が納まっているシーンは、なかなかないのではないか。ひょっこり起きてきて、雁二郎が小便に行くシーンで、立ち尽くす人々。なにか騒然とした戦慄を覚えるシーンである。これを小津がやっているというのがまた驚きだ。
その中に闖入者のように入ってくる「小津演出」。原節子司葉子のツーショットのシーン。遠景の2人、「同時に」腰を下ろす。ここでアクション繋ぎ。話す。二人が「同時に」腰を上げる。ここで再びアクション繋ぎで遠景へ。むしろこの映画の中ではこういった「小津的」なるものは多少邪魔なような気もしてくる。確かにそのシーンはシーンで、「反復する小津」を地でいったような、極めてレヴェルの高いシーンではあるのだが。
吉田喜重はこの映画を「若者におもねった、小津さんらしくない映画」と断じているが、私はこの路線で何本か撮ったらどうなのだろうか、と、夢想してみたくなる。やはり駄目になっていたかもしれないが。
豆腐屋は豆腐しか作れない」と嘯いた小津を思う。

小早川家の秋 [DVD]

小早川家の秋 [DVD]